「大好きなこと」「がんばったこと」
日光のようなモノゴト。
それに取り組む事で「夢、希望、勇気」が生まれ、やがて「能力」という果実が育まれる。
そして「大好きなこと」「がんばったこと」は、新しい「夢・ビジョン」へとなっていく。
いまだ被災地は寂しさが滲んでいる。
クリスマスが近づくにつれ、テレビも街もクリスマスムード一色になっていく。
子どもには「夢への道筋」はわからない。
いつか口にすることも無くなっていく。
ひとり静かに絵本を読むこと、お友だちとのおままごと、野を駆け、山を駆け、体を動かすこと、レゴをバラバラにしたり、組み立てたりひとり黙々とすること、読み漁る本、観た映画・漫画のワンシーン。
多くの体験から「夢への道筋=みちしるべ」を得ることがある。
一心不乱に生きる事を強いられる社会。
そんな最中に、様々な人の人生に触れ気づく。
人の「心」は不思議で、掴みどころがない。
宇宙にきらめく星のようでもある。
幼い頃、好きだったこと、没頭したこと、想像したり、体験したり、ワクワク・ドキドキしていたこと。
きらめく光りの源泉。
夢、希望、勇気といった「能力」の栄養素、「夢」の種。
2012年、陸前高田・大船渡「七夕祭り」、南相馬「桜の聖母短期大学の催し」、千葉県「東日本大震災復興支援チャリティイベント・音楽祭」でこどもたちが書いた「サンタへの手紙」。
「あの2000個もの風船はまるで、亡くなった方々の魂に見えました。」
(陸前高田のうごく七夕祭り 実行委員長 福田さん)
陸前高田では、津波によってまさに2000人もの命が失われていた。
2014年のクリスマスをおえて、ある方からいただいたメッセージ。
「プレゼントってなんだろう・・・
自分の中でその答えがだせず、つい今年は参加しそびれてしまいました。
来年は自分なりに答えをだして、また参加させてください。」
プレゼントには「あらかじめ在る」「前に持ってくる」、
ギフトには「天から授けられた才能」という意味がある。
プレゼントには
「天から授けられた才能が開くように」
という、祝福が込められている。
プレゼントとは、才能をひらくための「みちしるべ」と言えそうだ。
片足のプロダンサー、大前光市さん、という方がいる。
23歳のとき、憧れの劇団の最終試験前日に泥酔した車にひかれ片足を失った。
プロダンサーになる夢をあきらめきれず、以来10年にわたり筆舌に尽くしがたい人生を経て、ハンディを乗り越え、片足のプロダンサーになった。
所属するダンスチーム の演技「login」では、4人がそれぞれ「光の玉」で遊ぶうちに仲間からチ―ムになっていった。
心を躍らせる何かと出逢い、無心に没頭する。
その経験を経るとお互いを認め信頼するチームとしてまとまっていった。
「みんなで仲良くしなきゃ」といった予定調和がなく、個々の自律が連なってこそ出来る旋律。
ひとりひとりが夢中になった「光の玉」、好きなこと、楽しいこと、没頭してしまうこと。
これが「みちしるべ」ということなんだろう。
幼いころ、家にはボロボロだった「なんとか百科事典」が十数冊あった。
その内の一冊に、宇宙、星空、銀河、星雲に無限の宇宙、神秘に強い関心をもった。
(宇宙にいってみたい!どうしたら?NASA?)
しかし誰からもその方法は教えてもらえず、いつかあきらめた。
ある時、ある大人に「夢はなに?」と聞かれた。
(どうせ夢の叶えかたなんてわからない癖に。。適当にいっておこう。)
「パイロット」と答えた 。
「もっと大きな夢を抱いていいんだよ。」
といわれ
(大きな夢?どうせわからない癖に。面倒くさいなぁ・・・)
「じゃあ、大統領で」
と答えた。
「大統領かぁ、日本じゃ無理かもなぁ。でもいいか大統領でいこう。」
とその大人は言った。
(でもいいかって何?無神経に触れられるくらいなら、自分の中で大切にしまっておこう)
こうしていつか、夢は忘れ去られた。
大人に募っていった不信。
本当の想いは明かさなくなっていた。
本当は好奇心が枯れ果てるまで、追い求めたい。
あの百科事典は「みちしるべ」だった。
とある番組で3、4歳の子どもたちが、保育園でどういう1日を過ごすのかを検証していた。
子ども達は、それぞれが良い・悪いの判断基準をもっていて、それが同じでない子とは距離を置いていた。
そういう子たちがいっしょに遊ぶと、きまってケンカになった。
発達心理学では、実はそのケンカが重要で「違いを知る」経験であり、学んでいるとのこと。
人と接し、違いを知り、人との違いを知り、人を認め、自分を認める。
小さい頃は素直に純粋に(かわいくなりたい)(ほめられたい)(かっこよくなりたい)と思っているもの。
Find your Star!(きみの星を探せ!)
Play your Star!(きみの星で遊べ!)